落ちこぼれの私が仕事が出来るようになるまで 〜2nd season〜

社会人もうすぐ4年目 普通の人より不器用

ブログを通しての学び

 

久しぶりにブログを書いている。

思い出したように開いてみたか、過去の自分はとても悩んでいたようだ。

 

今の自分は、タイトルどおり仕事ができるようになった。

人並みにだが、大きなミスもほとんどなく定時で帰れている。

 

今考えると、仕事の出来なかった時の自分はマインドコントロールがとても苦手だった。

落ち込んで、周りの目を気にして疲れて、ここにストレスをぶちまけていた。

 

しかし、このブログを放置していた間に私は変わった。

変わりたいという強い気持ちから、努力して自分の自信のないことを克服したり、今までやらなかったことにチャレンジした。

そのうちに周りとの会話も増え、仕事も以前よりうまくいくようになった。

 

気がついたのは、ネガティブな感情を抱えたままだと、それに支配されて毎日が何も変わらないということ。

なんでもいいから行動して、少しでもポジティブな気持ちを増やすこと。

 

もうすぐ私は職場を辞める。

でもそれは、仕事が出来なくて辞めるのではなく、今後の人生を考えての決断だ。

次の職場でも悩むことがあるかもしれない。でも次は、必ず行動に移して、自分の感情に支配されないよう努力してみせる。

理解されないこと

出来る人は出来ない人のことがわからない。


例えば、右手を上げることはきっとほとんど誰でもできることだろう。

でも、これが出来ない。当たり前のことがなぜかできない。これが持ち合わせた凸凹なのだ。


出来る人から見れば、意味が分からないからいらいらする。


そして、


分からなければ聞けばいいのに。


出来ないなら言えばいいのに。


こう言う。



それがそもそも違う。


上の例の場合、出来ないことがはっきりしている。しかし、実際は具体化出来ないことが多いのではなかろうか?

場面にもよるし、全く出来ない訳でもない。これを上手く表現するのは難しい。


分からないところが、上手く言葉にできないから聞けない。



加えて、出来ないと言える人は、そう言いながらもある程度はできる人である。

そのような人達が言っていることは、頑張れば出来ることだと思われていることが多い。一般的にできると思われている物事に対して、自分には無理だと感じたとき、気安く言葉にできない。なぜなら、周りの人に理解されないことだから。


よく、職場の人に打ち明けて理解をしてもらうという解決策を目にする。

しかし、実際はそれ自体もとても難しく、打ち明けたところで理解を得れないこともあるのではないか。


そんなことを思った。


これからの人生について考える

お久しぶりです。

最近の私は仕事でへとへとになりながらも、周りには恵まれてなんとかやっています。

 

最近、大切なパートナーが出来ました。

出会って付き合うまで時間がかかり、付き合ってから数ヶ月しか経っていませんが、不器用な私のことを受け入れ、面白がって、可愛がってくれる、私には勿体無いくらいの人だと思っています。

まだ先のことは分かりませんが、この人の隣に居たいなと付き合う前から感じていました。

 

大切な人が出来て、心の癒しが出来たことは、私の生活に彩りと安心を加えてくれました。

朝、目が覚めた時に、隣でいいおじさんが子供みたいにぐーすか寝ているのを見ると、思わず笑顔になります。目が覚めて私を抱き枕にして2度してしまう時は幸せを感じる瞬間です。

 

大切な人ができて、初めて結婚というものについて具体的に考えるようになりました。幸せな妄想もありますが、仕事と家庭の両立が出来るのかという不安がとても大きいです。そして、adhdの傾向がある私が結婚して子供を作ることへの不安も感じるようになりました。


彼にはadhdじゃないかと自分を疑ったことがある話は軽くしたことがあります。でも、誰でもそういう部分はあるからという、お決まりの返しがきたのでそれ以上は話しておらず、まさかその傾向が強いとは思っていないと思います。

まあ、診断をされているわけではないですし、職場でも不器用な子という認識で収まっているため、ボーダーorグレーゾーンという括りでしょう。

 それに、彼といるときは一人でいるときよりもすぐに行動に移せるし、職場でも慣れたことはある程度普通にこなせるので、人といる時はそれが刺激になって、行動を起こせるのかもしれません。でも、整理整頓は苦手、マルチタスクはこなせないですし、短期記憶のキャパもとても少ない。やっぱり、努力や慣れだけじゃどうにもならない部分を強く感じるこの頃です。

そんな私が妻として、母として上手くやっていけるのか?子供に自分の不器用さが遺伝して、苦労をかけないか?そんな不安が頭をよぎります。


もし、このまま関係が上手く続いて、将来の話をするようになったときには、ちゃんと言わないといけないなと思っています。彼には幸せになって欲しいと心から思っているので、私のマイナスポイントも知った上で決めて欲しいなと。

また、もし結婚となったら、今の仕事は辞めようと考えています。人はとてもいい人ばかりで、やりがいのある素敵な職場ですが、私には既にキャパオーバーなんです。もっと、業務の種類が少ない職場に転職し、心に余裕を持たないと、家庭のことがおざなりになり、周りに迷惑もかけ、自分も自信がなくなることは目に見えています。


こんな事を考えてみるものの、まだまだ先の話だし、まずは目の前のことを頑張らないと。先の不安ばかり考えて、目の前のやるべきことから目をそらすのも私の悪い癖。そんなことを考える今日この頃なのでした。

 

今の仕事で将来のビジョンが描けるか

このブログをしばらく放置していた間、私は毎日を楽しく生きるように頑張っていた。その結果、疲れや失敗もあるが、充実した毎日を過ごしていると思っていた。


しかし、心の何処かで将来の自分を思い描けないことに違和感を感じていた。この職場にで働いてもう3年だが、仕事に対して興味を持つ事が出来ない。自分が関わる人のために努力したいという気持ちで頑張っているが、どんなに興味を持とうと意識しても、純粋な仕事への興味は高まらないままだ。こんな状態のまま仕事をしていても、周りにも申し訳ないし、自分の満足度も高まらないままだ。


最近になって、将来の自分について考えるようになった。自分の知識を活かして仕事をしたいというよりは、そばにいる人のために生活も大切にしたいという方が私の正直な気持ちだと思った。私には仕事のやりがいよりも、ライフワークバランスが大切なのだと今になって気づいた。


そんななか、私は大きなミスをした。それに心が引っ張られたせいか、続けてミスが発生した。

今までここに書き綴っていたころのミスは、正直私の抜けが問題で、自分にも反省点が大いにあると思うミスがほとんどだった。しかし、今回のミスが起こるまで、私は無我夢中で頑張っていた。経験不足のため起こったということもあるが、チェックも漏れていたと感じることはなかった。


私はとても怖いなと思った。今の自分は頑張っているが、既に自分のキャパシティを超えていて、余裕がない。仕事に対しての正解が分からず、もやもやすることも多い。そんな自分だと、頑張りすぎて一つ一つの質を落としかねない。


例えば、周りの人がレベル20からのスタートだとしよう。それに比べると、自分のレベルは5くらいだと思う。レベル15の差を埋める努力も必要になり、人の何倍も努力しないといけない。そのため手が回らず、余裕もなくなる。


でも、今のまま仕事を辞めるのは嫌だ。ちゃんと一つ一つを責任持って出来るようになってから、転職を考えたい。

まずは、仕事量を減らし、一つ一つを深く掘り下げる努力をしていこうと思う。1年は必ず頑張って続けて、その後は1年後の自分の決断に従おう。

無性に叫びたくなる時

まさに今大声で叫びたい。

なんならミスチル熱唱したい。


頑張っても周囲の期待に応えれるほどの実力がなくて、もどかしさを感じる。

でも、頑張ったことを褒めてほしい自分もいる。


周りが例え、大して私に期待をしていなくても、勝手に過大な期待や責任を感じて、容量悪く頑張ってしまう自分が嫌いだ。


それを誰かに話したくても、親友に電話したのに既読にならず、気になる人からは連絡が来ず、こういう時はあまり人に近づくなという神様からのメッセージだろうか。


普段マイペースにゆるく生きている自分は割と好きだったが、こんなときに悔しく思うのは、ぎらぎらした自分への憧れがどこかにあるからかもしれない。


久しぶりにもやもやして、職場をすぐ出た。

人間誰しも、こんな日があるのだろうか。

プライベートの充実と仕事

最近の若者は仕事よりプライベートを優先する傾向があると言われているのをよく耳にする。


優先の度合いによるが、私はプライベートの充実は仕事を楽しむ上で非常に大切だと考えている。

なぜなら私がそうだったから。


地元に帰ってすぐの頃、私には気の休まる場所がなかった。職場では気を使い、家でもやっぱり気を使い、地元在住の友達はいないし、1人でひたすらごろごろして休日を過ごしたものだ。

こんなことの繰り返しだと、体の疲れは取れてもストレスは溜まったまま。どんどん積み重なって大きくなるストレスに耐える毎日だった。


以前、職場は人間関係次第だという記事を書いたが、プライベートの充実は職場での人間関係の充実にも繋がる。

プライベートが充実していると、顔色や表情に明るさが出て、周囲が話しかけやすいコンディションを作れる。

そして、いざ話を始めたときに、一通りの仕事の話が終わると次はプライベートの話に移る。次に大切なのはネタだ。話すネタはプライベートが充実しているのと比例して増えていく。振られたときに話せないと関係は進展しないし、次からも話したいと思ってもらえない。


プライベートの充実なんて、絶対友達と遊び回らないといけないわけじゃない。とりあえず、遊べる人は数人確保だが、1人で趣味に没頭するでも良いし、家族とのんびり過ごすでも良い。恋人を作るのもまた然り。


でも、大切なのはほどほどであること。比重を余りにもプライベートに置くのはどう考えても仕事には繋がらない。何でもほどほどが大切なのだ。


そんな私は、最近プライベートはそれなりに楽しめ、友達と飲みに行ったり、趣味に時間を割いたりしている。私のルールは無理せず遊ぶことで、なるべく2〜3週間に1日は予定をほとんど入れない日を作るように心がけている。

足りないのは恋人だが、最近とてもいい人とご飯に行った。それだけで満足しないのが人間というもので、次はいつかなとラインを待っている自分がいる。来るか来ないか分からないラインを待つのも充実に当たるかはさて置き、十分な話のネタにはなる。


私のことはどうでもよいが、そんな私は先輩からご飯や遊びに誘われるようになった。最初の頃だと気を利かせて誘ってくれていたものが、今は普通に声をかけて貰える。


そんな今、この2年半を振り返り思うのは、仕事だけが出来ればいいわけではないということ。全ての物事はどこかしらで繋がっており、仕事をうまく行かせたいなら、他の部分も上手く動かさないといけないと今更ながら気付いた。


なんて、器用な人にとっては当たり前のことなのだろうな。

落ちこぼれなりの後輩教育計画

私に後輩ができた。後輩のうち、最初のころの私を彷彿させる子が1人。指導担当者は、仕事覚えが悪く臨機応変が出来ないコミュ障新人に対して、疲れて愚痴を吐く様になった。その光景を見ている私もなんだか疲れてしまった。


そこで、なぜ新人ができないのかを考えてみた。


○仕事覚えが悪い→メモを取るだけとって振り返らない。情報の選別ができず、全てを覚えようとしてしまう。自分が何が分からないのかはっきりさせないまま、同じ失敗を繰り返してしまう。

臨機応変が出来ない→場面別の仕事の優先順位が頭で整理出来ていない。周りが見えていない。

○コミュ障→周りに気を使いすぎ。失敗を恐れすぎ。


この中で、私が介入して改善できることを考えてみた。


○何が分からないのかはっきりさせること。

○場面別の優先順位を叩き込むこと。

○気を使わなくて済むように安心させること。


そこで、この3点を実践してみた。


○教えた後、今の説明の中で分からないことがなかったか確認する。

○普段から疑問に思ったことは具体的にして、いつでも質問できるようにしとけと指導。

○場面別の優先順位や、具体例を説明。

○いつも同じトーンで接する。近すぎず遠すぎずの距離感で。

○「私が注意しても、何言ってんだよこいつくらいの気分でいてくれ。気にして次の仕事が遅くなるより、その方が10倍まし。」と言った。



最近新人の動きが前よりましになった。笑顔も増えた。指導担当の先輩の顔色も前よりましになった。空気も以前のように良くなった。私の戦略のおかげか、はたまた全く関係ないのか分からないが。


出来ない新人への対応は大変だと思うが、一辺倒の指導ではなく、個人により教え方を変えれば同じように成長してくれると私は信じている。自分がそう強く感じていたから。