落ちこぼれの私が仕事が出来るようになるまで 〜2nd season〜

社会人もうすぐ4年目 普通の人より不器用

本当の自分が分からないんです私

忘年会シーズン。

普段からだが、飲み会の席では特に

私は自分の話をあまりしない。

人に話をふるか、相槌を打つばかり。

自分から話すことも少ない。



私は昔から真面目に見られてきた。

親が公務員ということもあるし

高校の途中までは成績が良かったから

ということがあるだろうと思っていた。


でもそれが大人になった今も続くと

その理由は通用しなくなる。


なら何故だろうと考えてみた。


○自分の話をしない


○自分からあまり話しかけない


○与えられたことをただこなすだけ


○受け答えが真面目


これらの点から、自分を知ってもらえていないし、知ってもらおうとしないから、ただ物事をこなすだけの真面目な人に見えるという結論に至った。




問題点が分かっているなら、改善する努力をすればいいと言われるかもしれない。


そんな簡単なものではないのだ。



私は自分の感情にとても鈍感である。

何かに興味があるないなどの

大まかな気持ちは分かるが、

何かを見て、聞いて、

自分が何を感じているのかよくわからない。


だから、言葉に出来ず、

周りに自己表現ができない。



興味があるものが限定されており

あるものとないものとで

知的好奇心の差が激しい。



エピソード記憶に乏しく

楽しかった記憶や、大切な記憶さえも

すぐには思い出せないし、

思い出しても非常に断片的だ。



これらを総合して例をあげると


部活の試合を応援しているとき

周りの同期は自分の感情を言葉に出す。

つまりそれは感想である。

部活という団体で自分が参加している競技に対して関心を持ち、

今までのエピソード記憶を呼び起こして

それらと比較してどうかを感じ取り

それを言葉にする。

そして雑談が生まれる。



しかし、私にはそれらが欠けている。

そのため、感情が湧き上がらないか

湧き上がっても上手く言い表せない

という事態に陥る。


その結果、雑談がなく、ただ応援をこなすだけとなる。



自分ができないことは

なんとなく自分で分かっている。

だから、自分から話はあまりしない。

というか、上手く出来ない。


人の話を聞くのは好きだから聞く。


でも、それに対する感情が生まれにくいから、聞きすぎない。



私は周りの感情には敏感である。

相手がどんな話をしたら喜びそうか、なんとなく分かる。


しかし、分かるとできるは別物だ。


相手から求められているものが

分かっているほうが

期待に応えられないことが分かる分

話しにくくなる。



だから、私は時々鈍感なふりをする。


ちょっと空気読めていないように見せるほうが物事が穏便におさまるからだ。



人は自分ができることは

他人もできて当たり前だと感じる生き物だ。


自分が最初からある程度できることについて

出来ない人間がいることや

その人がどんな気持ちでいるかなんて

分からない人が大半だろう。



私のような特性はまさに、

大多数の人、いわゆる

普通の人ができて当然のこと。

出来て当然のことを出来ない人がいるなんて

考える人なんかいないだろう。



私は周りにどう見られているか

実はわかっている。


「当たり前」という考えが強そうな集団において、私は真面目と受けとられやすく、自己表現を避ける傾向にあるのも知っている。



人を避けないで、

深くまで話をできる人や

冗談をどこでも言える人はすごいと思う。


私だってそうなろうと努力した。

でも、世の中努力でどうにかできる問題ばかりじゃない。



そんなに甘くないんだぜ。


目の前の

面白みのない馬鹿野郎と思っていた奴が

そう見えなかっただけで

実は色々と考えていることだってあるんだぜ。


と、当たり前さんたちに言いたい。


私だって自分のことが分からなくて

自分のことを知りたいんだよ。