理解されないこと
出来る人は出来ない人のことがわからない。
例えば、右手を上げることはきっとほとんど誰でもできることだろう。
でも、これが出来ない。当たり前のことがなぜかできない。これが持ち合わせた凸凹なのだ。
出来る人から見れば、意味が分からないからいらいらする。
そして、
分からなければ聞けばいいのに。
出来ないなら言えばいいのに。
こう言う。
それがそもそも違う。
上の例の場合、出来ないことがはっきりしている。しかし、実際は具体化出来ないことが多いのではなかろうか?
場面にもよるし、全く出来ない訳でもない。これを上手く表現するのは難しい。
分からないところが、上手く言葉にできないから聞けない。
加えて、出来ないと言える人は、そう言いながらもある程度はできる人である。
そのような人達が言っていることは、頑張れば出来ることだと思われていることが多い。一般的にできると思われている物事に対して、自分には無理だと感じたとき、気安く言葉にできない。なぜなら、周りの人に理解されないことだから。
よく、職場の人に打ち明けて理解をしてもらうという解決策を目にする。
しかし、実際はそれ自体もとても難しく、打ち明けたところで理解を得れないこともあるのではないか。
そんなことを思った。