落ちこぼれの私が仕事が出来るようになるまで 〜2nd season〜

社会人もうすぐ4年目 普通の人より不器用

キャパを広げるにはその日中に解決が鉄則

私はキャパオーバーを感じている。なぜなら、元々あった今月中の仕事が1件、加えて飛び込みの仕事が1件に、通常業務内で発生したイレギュラーな仕事が1件に、忙しすぎて中途半端なままになっていた先週の仕事が1件まだおわっていないから。普段の業務中にそれらに当てるような時間はスケジューリングされておらず、時間外でやるしかない。


締め切りが多いと人は余裕がなくなり、体調を崩しイライラする。余裕がないと人に対して配慮が欠けてしまうし、新しい情報を聞き逃しやすくなる。そう、負のループなうである。


私は頭の回転が遅く、仕事がその日中に終わらないこともあれば、終わっても復習まで至らないことが多々ある。きっとその日中に問題を解決できていれば、頭がすっきりして滞りなく余裕を持って仕事が出来るのだろう。


私は耳からの理解が弱いので、自分なりに復習してまとめないと実践が難しい。つまり、スムーズに仕事ができるまで人の倍時間がかかるのだ。日々の時間の使い方が下手すぎて、より時間がかかり先延ばしになっていることがキャパオーバーなうに繋がっていると分析している。


この解決策はなにか。まずは今ある締め切りを終わらせること。そして、次にまた同じことが起こらないように、時間がかかっても必要なことはその日のうちに終わらせること。また、目先のことに気を取られがちなので、1週間単位で計画を立てることが必要だ。


このメモを読み返し、少し先の未来の自分が少しは仕事が出来るようになっていることを祈る。

要領が悪い人も悩むし、周りも悩む。

ももちろんそのタイプ。学生時代は人にうまく頼り、困ったら馬鹿なふりをしておけば乗り切れた。でも、社会人になり避けられない壁にぶち当たり、たくさん悩んだ。


そして今、今度は私の後輩が同じような苦悩を感じている。そして、客観的な立場の今、私は教える側の苦悩も知ることになった。


人と理解の仕方が違う、不器用な人は、周りの人が当たり前のようにできることが上手く出来ないことがある。今聞いたことを、やれと言われても分からなくなってしまう。緊張して、周りが気になって注意が散漫になる。新しい情報が多すぎると、話が耳に入ってこないし、メモを読み返しても整理ができない。

本人は周りが当たり前にできていることが何故出来ないのか悩む。悩んで余計に疲れて予習復習にまでエネルギーを使えず、また力不足を感じて悩むの負のループ。周りに軽蔑されているのではないかという不安から、ミスを起こすのが怖くなり、仕事が遅くなり、挙動不審になる。そして、周りからの信頼が少しずつ減っていく。


一方、教える側は、自分がどれだけ説明しても成長が見られない後輩に対してストレスを感じる。何度説明しても覚えていない。教えたこと自体を忘れている。指示をしないと動かない。コミュニケーションが取れない。指導を任され、一緒にいる時間が長くなると同時に、イライラを感じる時間も長くなる。最初はこの子を成長させるために頑張ろうと、一生懸命説明していても、徐々に教えることに疲れを感じるようになる。


このように、悩みの連鎖が発生する。


私はまだまだ力不足ながら、段々とどちらの立場も分かるようになった。同時に、この解決策はなにか無いのかと考えるようになった。


新人側は仕事ができないストレス、周りの人の信頼を感じられないストレスから、いつも緊張してしまう。その結果自分を客観的に見ることができず、遠回りな努力をしてしまう場面を多々見る。


一方教える側は、ストレスがたまると愚痴を言うようになる。例えそれが本人のいないところでも、職場内での愚痴は、空気となって段々周りも感じれるようになる。それは、愚痴を言われている本人も含めてである。それが原因か、お互いに苦手意識を感じ、会話がぎこちなくなる。


この負の連鎖を断ち切るには、一緒になって愚痴を言うのではなく、早く新人が一人前になるように試行錯誤を重ねることが最善だと考える。

そもそも、同期と比べて覚えが悪いのは周りと理解の仕方が異なるからだ。ならば、教え方を変えればいいと思う。他の新人には考えさせる言い方で大丈夫なことでも、不器用さんは考えても答えにたどり着けない場合がある。ならば、不器用さんには最初から答えを教えれば良い。考え方も含めてインプットさせれば良い。他の人ができるところでフリーズしてしまう。ならば、まずはその原因が何なのか一緒に考えることから始めれば良い。それをしようとせず、愚痴を言ってばかりの職場は絶対に良い方向には進まない。


言っておくが、私は決して優し人、良い人などではない。ただ周りの人間関係のいざこざに巻き込まれるのが面倒なのである。自分が問題を起こしている場合も嫌だが、周りの不穏な空気を感じてしまうのも嫌だ。私は職場の人間とはある程度の距離感を保っていたい。そして、距離感は保ちつつも、周りの人がある程度平等に快適に過ごしてほしいと思っている。不穏な空気が生じてしまうと、現場の人間関係に変化が生じるし、不快を感じる人ができて、その状況が私のストレスになる。最終的に自分に降りかかってくるストレスを減らしたいだけなのだ。


悩みの連鎖を止めるには、現状を分析して打開策を見出すしかない。人はみんなそれぞれ違う生き物なのだから、色んなことが違って当たり前だということを忘れないでほしい。


人は何を思い働くのか、何のために生きるのか

永遠に分からない問題かもしれません。

朝起きて、出勤して、夜まで働いて、帰って寝てまた起きる。同じ日々の繰り返しならまだいい。私の仕事では、日々新しい情報を勉強し学ばなければならない。
ただ、私は自分から成長するために他のものを犠牲にできるほど、今の仕事に興味を持てないんです。最低限の必要なことは日々努力しています。でも、人より不器用な私はそれだけでも頭の中を整理するのに時間がかかります。その上、自由な時間を捨ててまで、会社のために自分を磨こうと思えるほど、今の仕事に興味を抱けないんです。

私はお給料をもらうために働いています。自分のステータスを上げることに執着がないんです。今の仕事において、出世への興味が全くない。だから常にどこかで、この仕事をずっと続けることは出来ないと思っています。

そして、私はプライベートでもあまり興味を抱くことが少ないのかもしれません。好きな人もあまり出来ることはなく、結婚もどこか諦めている自分がいます。
 小さい頃、私の実家は私にとってとても気を使う場所で、そういう家庭に育ったせいかなかなか人に対して素直になれない女になりました。人との距離が近すぎると窮屈で疲れてしまうようになりました。
将来、いい人と出会ってなんやかんや幸せに過ごすのかなと思い描いていた頃もありましたが、今は難しいなと思っています。

家族を作って、子孫を残すこともせず、自分のためにバリバリ働いて出世することもしない。私はただ呑気に生きたいだけなんです。

自分が今後どう進んでいくのか分からず、時々こんなことを考えるのでした。

私がストレスを感じるときについて

 どんな集団にも、周りと馴染むのが苦手な人、理解が遅い人、話すのが苦手な人がいる。それは、理解の仕方や思考回路が人それぞれなために生じる得意不得意だと思う。 最初からある程度できる人たちは、そもそものスタートラインが異なる。そんな人の「私苦手だからなー(笑)」は、本当に出来ないわけじゃない。本当に出来ない人はそんな気軽に口に発さない。自分が出来ないことについてコンプレックスを感じ、努力してなかなか出来ないことで辛い経験をした分、言葉に重みがある。


人間は共感を好む生き物だ。自分の話に共感してくれる友達を好み、共感することで相手への興味や好意が大きくなる。逆に言えば、分からないことは好まない。勉強が分からない子供は勉強を嫌い、全く分からない場所には不安を感じる。それと同時に、人間は自分勝手な生き物だ。自分の考えが当たり前だと思う節があり、自分と違う種類の人間に対して、理解が出来ないと嫌悪感を感じる。それがストレスとなり、誰かに話して発散し共感してほしいと思う。しかし、それが場合によっては悪口となる。


前置きが長かったが、私がストレスを感じるのは、私の周りの人たちの不穏な雰囲気を感じた時である。私は自分の所属する集団の人たちには、なるべくマイナスな感情を抱いてほしくないと思っている。人は十人十色だと思っているし、それぞれがそれぞれなりに共存できればいいと思っている。しかし、そんな出来た集団なんて一握りで、相性や思考の違いから衝突が生じることなんてありふれたことである。慣れないといけないと思いつつ、やはりそのような環境下では気持ちが疲れる。


私は悪口が嫌いなのではない。なぜなら、悪口を言う人にも言われる人にも、それなりの理由があるからだ。悪口を言える人は、むしろ相手に指摘をできる、軸がある人だと思うこともある。言われる側にも問題があると思う。ただし、場所を考えない悪口は嫌いである。その人が存在する同じ部署内でイライラする気持ちを言葉にするのはいかがなものかと思う。少なくとも、その人やその周りの人が耳にする可能性がある場所で、その人に向けて攻撃的な言葉を発する人は好きではない。とは言え、その場所じゃないと会話するチャンスがないということもあるだろう。でも、自分勝手だが私の周りでしないでくれ。どちらの気持ちも分かって居たたまれなくなるから。


全て職場での出来事。だから私は職場では必要以上に人と関わりたくない。友達じゃないし、ある程度距離は保ちたい。面倒はなるべく避けたい。上では偽善者みたいなことを言ったが、結局は自分のストレスを溜めたくないからだ。波風立たない環境で、面倒に巻き込まれず生きていきたい。


ストレスで一気に書いてしまった。

これで、今日はよく眠れる。



職場は結局人間関係だと思う

知らないうちに先月のVPが100を突破のお知らせがきていました。お久しぶりです。ちらっとでも私の拙い文章を読んでくださり、ありがたい限りです。



最近、私の大学時代の友人が転職しようとしていることを知りました。SNSで職場への不満や日々の寂しさつぶやく彼女。知らないうちに、仕事への情熱を上回るストレスが大きな山になっていたみたいです。そんな彼女のSNSには、職場の同僚に関する不満が多々書いてあります。


一方、2年間心の何処かで現状から逃げることを考えていた私ですが、やっと仕事のやりがいと周りからの信頼を感じ始めました。ミスは激減し、余裕もでてきたのを感じています。仕事が出来るようになるにはまだ長い道のりですが、ゆっくりと前に進んでいることを実感しています。


ところで、流れが変わった要因のひとつが職場の人間関係の改善です。


今の職場に入ったばかりの頃、まず感じたのが、同僚と合わなさそうという不安でした。私は自分と相性が良くないタイプを敏感に察知してしまうのですが、入社直後ですでに4人の同僚にレーダーが反応。その他も合いそうな人が見つからず、居心地の良くない環境で自分がどう振る舞えばいいか分からない日々が続きました。実家での居心地の悪さや、プライベートも充実していなかったこともあり、ストレスを発散する場がなく、どんどん積もるばかり。あの頃は何をやっても逆効果で、空回りしかしていませんでした。


そんな私に縁が訪れました。苦手な同僚が退職し、代わりに相性の良い人が入ってきました。それをきっかけに、職場で居心地の良さを感じる瞬間が増えていきました。更に、産休から復帰した先輩が相性の良い人ばかりで、職場での口数も増えました。また、苦手だった同僚も、2年間でお互いの扱い方が分かり、以前よりも自然に話せるようになりました。


そして、私のストレスの原因の大部分を占める実家から離れ、一人暮らしを始めたことが

環境の変化をもたらしました。職場までの通勤時間が減少し、睡眠時間が増えました。ストレスも軽減し、気持ちが楽になりました。

今の私は、最初に比べて職場での居方が分かるようになった感じがします。


私の場合は、職場だけでなく家庭や健康上の理由もあり空回りに拍車がかかっていましたが、一般的に職場の決め手は人間関係だと感じます。多少仕事ができなくても、人間関係が良ければうまく回り、仕事ができても周囲と馴染めなければ実力を発揮できないことを改めて実感しました。


しかし、注意すべきなのが上手く立ち回るために周りに気を使いすぎないこと。丁寧にしすぎると、逆に距離を広げてしまうんですよね。コミュニケーションって難しい。適度に自分勝手に、でも適度に周りを配慮できるようになることが、職場環境を良くするための最終目標です。

このブログを読んで下さっている方の中で、自分が仕事が出来なくて転職を考えるほど悩んでいる方は、その職場はメンバーの入れ替わりがある職場か一度考えてみて下さい。今は仕事が出来なくても、きっと全く出来ない訳では無いんですよね。パターンを掴むことが出来るまで時間がかかっているだけで、今後流れが変わる可能性は充分あります。ただ、そこに所属する人間との相性がとことん悪く、メンバーの入れ替わりがない場合は、転職の選択肢は必要枠かもしれません。自分が壊れる前に選択する勇気を持つことは、仕事が出来るようになる以上に大切だと思います。

私の友人も、次の職場では人との縁に恵まれることを願うばかりです。

苦手だった教室を思い出す

高校生の頃、教室という空間が嫌いだった。周りが妙に気になって、落ち着けなかった。誰も私を見ているだけではないのに、自分の口から出てくる一言一言に過敏に反応してしまう自分がいた。そんな自分に気付かないフリをしていたけど、受験シーズンになり様々な気持ちが爆発してしまい、それ以来ストレスでガスが溜まるようになって時々保健室に駆け込んでいたのを思い出す。封印していた記憶だ。


大学に入り、地元から出て、私のバックグラウンドを知る人は誰もいないところでスタートを切った。最初は辛いこともあったけど、大学という広くて、色々なものに囲まれる環境では、自分の放つ言葉にビクビクしなくて済んだ。大学の間に、今までの自分は捨て去り、新しい私になっていた。人との距離感を自由に測れるし、周りが全く自分を気にしていないとはっきり分かる広い環境は私に最適だった。


社会人になって地元に帰った。職場にはいい人しかいない。しかし、苦手だった狭い空間がある。入社してすぐは、苦手だったことさえも忘れていた。徐々に思い出される感情がデジャブを引き起こした。


もし私がある程度収入がある男性と結婚することができたなら、転職しよう。広いオフィス、もしくは普段はPC入力作業のような一人一人が周りが気にならないほど集中しているような、口頭や紙でなくメールで連絡がくる職場。


そんな夢を見ながら、また今日も仕事。

転職なんて、よほどのことがない限りする勇気は私にないのだから。


一人になると見えなかったことが見えてくる

実家を離れて久しぶりの一人暮らし。

お金はかかるが、誰にも縛られない生活は楽だ。職場と実家の往復に時間を取られる日々は、精神的にも体力的にも地味に辛かったんだと気が付いた。それに、仕事のストレスを家族に当たらないでいられることは、自己評価の維持にも繋がる。


実家では毎日疲れ果てて、ただ寝るだけだった。同じ家に住んでいる祖父母とはすれ違いの日々で、久しぶりに早く帰宅しても、疲れて落ち着いて話をする余裕もなかった。そんな自分が駄目人間なのは分かっていたけど、職場でのストレスに加えて、実家でも周りに気を使うのはきつかった。土日も予定がなければ1日中ベッドの上で過ごしていた。無理に人に会うのも面倒だった。


1人でいられる時間を作れる今の暮らしは、それだけで心の安定に繋がる。こんな自分は結婚には不向きだと思う。ただ少しの優しさだけが取り柄の私は将来どうなってしまうのだろうなんて思う。でも、そんなこと考えても意味がないわけで、結局目の前の時間をただ生きるだけしかできない。


こんな深いことを考えたのも久しぶりだった。


まだ大して時間は経っていないが、実家の祖父母は元気だろうか。一緒に暮らしていても会えるのは少しの時間で、大した話も出来ていなかったが、顔を見れないのは寂しいものなんだと気付く。大学時代は距離がかなり離れていたし、自分の事ばかりで家族のことなんて考えていなかった。寂しいと思うこともほとんどなかったし、元気な祖父母しか頭に思い浮かばなかった。

大人になった今、自分が将来経験するであろう事柄がふと思い浮かぶ時がある。残りのタイムリミットがどれ程なのか分からないが、仕事と同様に、そろそろ計画的にやらないといけないんだろうな。


そんなことを書いている間に、今日も終わりを迎える。今の私は何一つ満足に出来ていない。今日やると決めていた事も、中途半端ばかりだった。計画的だなんて程遠い。


明日やろうは馬鹿野郎だという言葉があるが、あれは私のことだと思う。まだまだ中途半端だけど、前よりも時間の余裕がある分、考えながら生きて行こう。


なんて難しいことを考えてた夜なのでした。